3歳の私は彼らにとって犬一匹だったろうと気がつく

父の死後の1年後、私は部屋の片隅に小さな場を作り父の写真と鈴と線香をたてられるように。

暴力的だった事を置いて、ゆかいで朗らかな時の父を思い出していたのだ

写真は父親が素晴らしい笑顔。養母が中央で次男を抱き父親はその横で長男を前で抱き、私はその横で1人おどけている。数ある写真の中で自分が一番大好きなもの。撮ったシーンも覚えている。父がいつになく機嫌がよかった。

場を作った翌年のある朝....

起きて、この写真を大人の目線で見た、私は無視された存在だと分かった、まるで啓示のように。

ハッっとしたというかガツンと頭を右手から殴られた感があった

それは....次男を抱く継母、端っこにいる自分、父親の手は私にはない、父は長男を抱いている。おどけている私が痛い。当時この時期よりだんだんと私は心がすさんでいった、親の注意が私にはないと気がつき絶望していった 首を吊ったのはこの後の9歳。

1人でおどける私が悲しい。血により差別を受けた。愛情などはなかった、父は「犬1匹と思えばいいよね」と若い妻に説き伏せていたと想像できる「昔は家にただ働きの人間が1人はかならずいたんだー飯食わしてやれば」と私にのたまっていた父親

私1人が入り口を解放 雨の降らない空に向かって。

父親の祭壇は簡素にしよう。愛情が無かった事を再認識して悲しい気持ちが沸くだけだ。忘れてあげる事が自分の健康には良いだろう。未だ旅は長い。

神は言ったアブラハムに家を出なさいと。

不良DNAがあるのだ。

カニックは言った、無線使用では未だまだ未知数で未完成があるので、旧モデルと近いところでの使用は干渉し合って誤作動や寿命が短くなる危険があります。もし当たりの製品の場合、是非新しい環境で単品での使用お願いいたします。

人間は無線使用可能の電化製品。宗教や政治は有線。